2012. 03. 04  
  

  松井 正博大発見や!! 



  熊野古道 番外編その3 

  またまた番外編ですみません。 この前の大鳥
大社の補足説明ですが、平清盛・重盛親子が熊野
詣の途中立ち寄って参拝したというのは微妙に間違
いで、正しくは熊野参詣の途中、都に乱が起きたと
いう情報を得て、引き返す道すがら大鳥大社に戦勝
祈願をした、ということでした。

  また、その乱は平治の乱と呼ばれるもので、源
頼朝や義経の父親の義朝と藤原信頼とが京都で起こ
した乱で、この結果源氏が破れ、平氏一門が軍事力
と政権を握ったといわれています。

 そして後鳥羽上皇が建てさせたのではないかとい
われている大鳥新王子は、鳳商店街を少し南へ下が
ったところ左角にある松屋さん(ここは以前靴屋さ
んで取引先でした)を左にまがった個人宅久保さん
のお宅の中にあるそうなのですが、表からは見えま
せんでした。ただ立派なお堂だけは表から見えるよ
うにしてありました。

 
 さて私は数人の方々とパソコンサークルをやって
いますが、もともとこのサークルは松澤笑運会会長
が立ち上げたもので、今は彼のお姉さんの旦那さん
が指導してくれています。
            
パソコン教室100



  <写真 パソコン教室①>             




パソコン教室200



  <写真 パソコン教室②>  

場所は阪堺線の聖天坂駅の西側で、 

田口建設
さんの北隣の田口さん所有のマンションの3階西
成モラロジー生涯学習ルームで、毎月第二、第三
日曜日の午前中にやっています。
           




 阪堺線聖天坂600




<写真 阪堺線聖天坂駅>
             





教室があるビル、400


  <写真 教室のあるビル>
 


 メンバーの面谷君は日曜・祭日ともなればいつも
暇つぶしにパチンコをしに行っていて「パチンコをす
る代わりにパソコンをしたら」と勧めてパソコンをす
るようになったのですが、毎月平均して1万5千円程
これまで負けていたそうで計算すれば10年に以上
パチンコをやっていたのでこれから10年たてば180
万円以上節約することが出来ることになります。
            


聖天さん、本名聖天山正圓寺10




  <写真 聖天山正圓寺> 

 ところで、聖天坂駅の「聖天さん」といわれるお寺
にいままで行ったことがなかったので、最近行ってみた
のですがびっくりしました。正式には聖天山正圓寺とい
うのですが、ここにあの「従然草」(つれずれぐさ)を
著した兼好法師が晩年すごし、歴史に残る名作をのこし
た痕跡があるなんてまったく知らなかったからです。
       


吉田兼好隠棲跡700




     <写真 吉田兼好 歌碑>   
            

正圓寺水掛不動尊a


  <写真 正圓寺水掛不動尊>


 実際にはもう少し東北の丸山通り二丁目あたりだそうで
天下茶屋駅から東北4・5百メートルの所です。まさに
「大発見やー!!」(どこかのラジオ番組でありましたネ)。
 なんでもつっこんで調べてみるものです。「徒然草」
を何十年ぶりに読んでみようと思っています。


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2011. 10. 16  
     熊野古道と二人の主人公
 
 熊野古道をたどる道はいまだ大阪市内をうろついていたんですけど
ちょっと訂正事項がありますねん。それは台風12号で被害にあわれた
のは熊野本宮ではなく、熊野那智速玉大社でした。

訂正してお詫び致します。

ここまで熊野街道を歩いてきて気がついたのは、熊野古道には
二人の主人公がいて共通している点と違う点がある、ということ
ですねん。一人はスサノオノミコトで一人は後鳥羽上皇です。

共通している点は、ともにすごい力をもちながら自己表現の失
敗からその時の権力者から追放されていることであり、違う点は
スサノオノミコトは自分の体験に学習をして変身または更正し、
   海の神、航海をまもる神、植樹を司る神として各地の神社に祭られるようになったのにたいして、後鳥羽上皇はその後の南北朝対
立という皇統(こうとう)の二重構造の原因になられたというこ 
とです。

 スサノオノミコトは『 古事記 』にいろいろの神話として
そのはたらきが遺されていて、後鳥羽上皇は『 小倉百人一首 』
をまとめたことで有名な藤原定家がその日記『 明月記 』から
    抜書きされた 『 後鳥羽院熊野御幸記 』 のなかで詳しく上皇が熊野古道をたどられたようすが残っているそうですねん。

      信太山だんじり祭り

       信太山だんじり祭り 

10月10日、私はJR阪和線の信太山駅に降り立ちました。
そこは秋祭りの真っ最中で各町内から沢山のだんじりが出て、そ
れこそ岸和田にも負けじとばかり老いも若きも爺ちゃん婆ちゃん
からおいやん、おばやん、にいやん、ねえやん、子供、チビちゃ
んいたるまで、町中総出のすごい熱気で圧倒されましたヮ。

 その祭りは聖(ひじり)神社の秋祭りで、後鳥羽上皇が篠田王子社に参られた時にご使者を立て代参させられたといわれています。聖(ひじり)は日知りで暦の神を祭ってある神社で渡来人の信太の首(しのだのおびと)によって建てられたそうです。
また、陰陽師(おんみょうじ)の信仰も厚く、安倍(あべの)清明(せいめい)についての言い伝えも多く
あります。

        聖 神社

        聖 神社


 後鳥羽上皇はみそぎをされ、篠田(しのだ)王子社でお参りを
されました。 今は跡地の石碑が残っているだけで、聖神社の
一の鳥居の横にあるのですけど、ちょうど祭りのだんじりが方向
転換をする角の奥にあって交通規制がされてて、写せませんでし
た。

 祭りの中心地である王子町(幸町)のあたりを訊ねまわって道
路横の『 平松王子 』跡を見つけました。


        平松王子跡碑


        平松王子跡碑
 「 平松はまた雲深く立ちにけり明け行く鐘はなにはあたりか」
 これは後鳥羽院が 『 正冶二年百首 』 によまれた歌で、
院政をしかざるをえなかった政冶状況のなかで、自分に協力して
くれる勢力がなにわのほうから出てきてはくれないかという想い
を歌っているのでは、と言われています。    


     写真文書作成は

     松井 正博 

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2011. 09. 27  
熊野古道 おちぼひろい
    
 熊野街道を止止呂比命神社まで来ましたけど、四天王寺から阿倍王子神社までの間の地に取りこぼしたいわゆる落ち穂がありましたんで採り上げてみたいと思います。


  
 まず、四天王寺の南大門を入ったところに「熊野権現(ごんげん)礼拝石」があります。これは四天王寺の西門の石の大鳥居の下に立って西の海に沈む太陽を見て西方の極楽浄土を想う「日想観(じっそうかん)」にひたる人々が多く集まったそうでんねん。

それと同じように、熊野詣でをする人々が四天王寺に参ったあと、熊野本宮の証誠(しょうせい)菩薩(ぼさつ)に往生の保証をしてもらえると言う信仰があって、その思いでこの場所から熊野に向かって拝礼したと言われておま。熊野三山が神仏混交(こんこう)やということが、こういうことからも解りまんなァ。


  窪津王子
窪津王子


また、その大鳥居を出て、大通り沿いに南へ250mほど下ったところには堀越神社がありま。ここは熊野権現の分霊の第一王子が合祀(ごうし=併せて祭ること)されています。もともと八軒屋浜にあった窪津(くぼつ)王子が第一王子で、豊臣秀吉が大阪城を築城する時、この地に移されたそうでんねん。


  
   四天王寺熊野権現拝礼石
四天王寺熊野権現拝礼石



 このほか、高津神社のちかくに「郡戸(こうず)王子」が、また「愛染さん」で有名な勝鬘院(しょうまんいん)ちかくに上野王子があったそうですけど、いまははっきりしません。

 天王寺も越して、ずっと南に下って、阿倍王子神社の手前に松虫という所があります。その交差点のすぐ西に松虫通りの通り名の元になった「松虫塚」がありま。この松虫塚には昔からいろいろな伝説がありまんねんけど、このあたりが松虫(今の鈴虫)の名所であったことから、風流でみやびな言い伝えがあります。

    松虫塚

松虫塚



後鳥羽上皇に仕えていた松虫と鈴虫の姉妹の女官が、あるとき親鸞聖人のお師匠さんである法然上人の念仏宗にすごう感銘して出家したけど、老後はこの地に庵を立て、虫の音を聞きながら老後を過ごしたそうでっせ。

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2011. 09. 19  
  万代池の道標
道標


春には桜が咲き誇り

 大勢の皆さんが楽しまれる
 
 住吉で1番の名所です(私はそう思っています)

毎年楽しみにしています

熊野本宮も御祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)で、
宮司の九鬼家隆(くきいえたか)さんは、記紀すなわち「古事記」
や「日本書紀」には書かれていないけれど、スサノオノミコトは出雲
へ向かう前に、いったん熊野へ追いやられたんではないかと考えられ
ています。本来甘ったれで暴れん坊のスサノオはたった一人で木々が
生い茂る山の中で雨に打たれながらワンワンと泣いただろうといいます
泣きながらも自分という存在の意味を考え、これから進むべき方向を確
認した。これが熊野の持つ意味で、主祭神の素盞鳴尊の本来の力が
「よみがえり」=再生だというのです。悪玉が善玉
に甦ったきっかけだというわけです。

後村上天皇 お立寄りの寺院
 


止止呂支比売命(とどろきひめのみこと)神社の「由緒沿革」
には、「 承久3年に御鳥羽上皇が討幕軍を起こし給わんと熊
野詣でに名を借りて浪華(なにわ)住吉の豪族津守一族の勢力
並びに大和河内の兵をも集めにならんと墨江(すみのえ)の里
に行幸される時に当社の松林中に若松御所を造営し行宮として
渡御したてまつるときに、上皇は当社に国家安泰後武運の長久
を祈らせた 」とあります。後鳥羽上皇は北条義時追討の院宣
を下されたが残念ながら失敗し隠岐に流されたそうで
あります。

止止呂支比命神社



 阿倍野王子神社もイザナギ、イザナミの2神の他、スサノオ
の尊を御祭神として祭ってあり、この熊野街道沿いの各社は
住吉のすぐ横が明治中期まで海であったため、新羅に渡って
船材の樹木を持ち帰り、植林の道を教えたと言うスサノオノ
ミコトを大切に思う人々の気持ちが伝わってきますなァ。

 
神社2


今度の台風で熊野本宮も被害にあわれたそうですが
明治22年にも大水害があり、御社殿を数100メー
トル山の中腹に移されたそうです。当時はヘリコプター
も重機もない時代で、それにもかかわらず人間の知恵と
工夫とで全くの手作業だけで、たった2年で再建された
そうです。復旧、復興が合言葉である大震災後のいまの
日本ですが、がんばろう、まけるな、だけでなく、熊野
本宮大社の九鬼宮司さんは、「 笑顔日本 」を旗印に
「 心の居場所をしっかりと定めて、今の状況を受け
入れれば、これから進むべき道は見えてきます。 」
とおしゃっています。


     松井 正博



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2011. 09. 15  
熊野街道  止止呂支比売命神社
(とどろきひめみことじんじゃ) および住吉大社の段
 
 このたびの台風で被害に会われた方々に心よりお見舞い
申し上げます。熊野本宮大社まで被害に会われたようで
(御社殿そのものは御無事でしたが)驚いております。
 
阿倍王子神社からまた南へたどり、万台池あたりで景を
眺めたりしながら(この万台池は春には桜が池のまわり
一杯で良い休息地になります)、もう少し下りますと住
吉沢之町に止止呂支比売命神社があります。ここにきま
すと何故後鳥羽上皇が熊野詣でをされたか、その政治的
な理由が解ってまいります。そのまえにこの目と鼻のさ
きにある住吉大社に参ってみたいと思います。

  住吉名物 たいこ橋
たいこ橋



 住吉大社は知る人ぞ知る(知らない人は知らない)大
阪を代表する攝津一ノ宮で多くの参詣人で賑わう神社で
すが、霊験(れいげん)あらたかな御神徳は古来有名であ
ります。御祭神は第一本宮が底筒男命(そこつつおのみ
こと)、第二本宮が中筒男命(なかつつおのみこと)
第三本宮が表筒男命(うわつつみのおのみこと)の御三
神で、イザナギノミコトの禊いの時に海の中でお生まれ
になったので海上守護の御神徳を中心に古くより産業、
文化、外交、貿易の祖神として崇められ、常に諸願成就
の神様として広く信仰を集められていると言います。御
三神はこの地が気に入られ、「真(ま)住み吉し、住吉
の国」と言って、御鎮座なされたそうでありますナ。

  高灯篭
高灯ろう


この三神をお祭りになったのが神功皇后(じんぐうこう
ごう)で、第四本宮に息長足姫命(おきながたらしめひ
めのみこと)として祭られています。

 神功皇后は熊襲(くまそ)征伐のおり、身重の体で女
ながら戦陣に加わり、この地の生根(いくね)神社の祭
神である少彦名命(すくなひこのみこと)が酒造りの神
であったのでその酒を住吉の三神に献上され、戦勝を祈
願されたそうであります。

九州南部の熊襲(くまそ)征伐の時、仲哀(ちゅうあい)
天皇と共にご出征なされたが天皇は香椎宮で崩御され、
そのあと皇后は御自分の胎の子供に向かって私が戦に勝
って日本に戻って来るまで出てくるな!と言って、朝鮮
半島の新羅(しらぎ)を攻めて戦勝し、筑紫(つくし=
九州北部)に戻って後の応神天皇をお生みになったとい
う、今で言えば「なでしこジャパン」のような女性であ
りますなァ。
ちなみに日本サッカー協会のシンボルマークの「八咫烏
(やたがらす)」は神武天皇が東征の時、熊野から大和
までの険しい道を先導したといわれる三本足の大烏だっ
たといいますナ。
 
後鳥羽上皇はあえてこの住吉大社には参詣されなかった。
そしてあくまで熊野詣でを建前に行幸なされた。住吉大
社に参詣されたらその目的はチョンバレですもん。北条
義時ら武家が政治をほしいままにしているのが我慢なら
ず、いつか成敗せにゃならんと思っておられたからで
おます。

 王子神社
王子神社


それで阿倍野王子神社の次は住吉沢之町の止止呂支比
売命(とどろきひめのみこと)神社に参詣されました。
御祭神はスサノオノミコトと稲田姫尊(いなだひめのみ
こと)であります。スサノオノミコトは天照大神の弟で
荒々しく暴れん坊の神様で天の岩屋戸の事件を引き起こ
したため、神々が住む高天原から追放されて、出雲の国
に辿り着くころには何故か正義の味方となってその地を
荒らす八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して稲田姫を
救い出し、姫と結婚なされたそうであります。

                松井 正博

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