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2013. 06. 28  
 前回、掲載期間が短かったので再度掲載します。      

 勝間(こつま)街道の段 

  【三日路ふれあい寄席・ブログメンバー】  

  小栗街道の照手姫と小栗判官の姿を描こうといろいろ
準備をしているうちになかなかうまくいかず、悩んでいる
うちに、地元に別の街道があることに気がつき、気晴らし
にすこしたどってみました。

  大阪西成区の玉出あたりをまわっていると、永和信用
金庫さんの表に「玉出界隈の名所・旧跡」ということで、勝
間(こつま)街道を中心に住吉詣での土産として凧(たこ)
が明治のはじめの頃にたいそうはやっていたことがかいてあ
りました。
     








    <  永和信用金庫さんのウィンドウに飾
        られた玉出かいわいの名所・旧跡 >




  玉出名物といえば勝間南瓜(こつまなんきん)で幕末
から明治・大正・昭和と付近の畑で沢山作られていたそう
ですが、同じ時代に住吉神社への参詣や潮干狩りの土産と
して凧が売られていたそうです。住吉神社の東側にはその
当時からの池田屋という味噌屋が現存しています。明治
天皇や昭和天皇にもご賞味いただいたそうです。玉出西
にある生根神社の夏祭り(7月25日)には勝間(こつま)
南瓜がふるまわれます。
            










    <  生根神社 >           










 < 宮内庁御用達の池田屋 >










 < 明治からの由緒が書かれている >
 





 関西では凧のことを昔は「いか」とか「いかのぼり」
といって、揚げることを「のぼす」とか「いかのぼし」と
か言ってたそうです。玉出西一丁目あたりに凧屋の「若宗
」というのがあって、明治時代の最盛期には年間100万
枚も製造していたそうです。シカゴ博(明治26年)や
パリ博(明治33年)にも出品され、日本を代表する美術
工芸品として目されていたようです。オリジナルの図柄と
色調で絵師・彫り師・刷り師らの手をつくして人気を博し
たようですが昭和に入るとカラー印刷の安く大量生産を
する物におされて衰退してしまったようです。欧米では
凧のことをイカ(=カイト)といいますが、関連がある
みたいですね。
           










     < 金太郎の凧(イカ)>




  地図に沿って街角のポイント・ポイントを写していってみると
西成の下町なので歴史を感じさせるものはあまり残っていませんが
この道は北へ難波までつづいていたそうです。つまり難波津から住
吉街道につながるまでが勝間(こつま)街道だったわけです。




 





          < 天下茶屋西 >










    < 潮路南一丁目あたり >







      < 長橋一丁目あたり >








 


    < 鶴見橋商店街 >






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2013. 06. 09  
 松井 正博【三日路ふれあい寄席・ブログメンバー】  

前回はJR阪和線、和泉府中駅で小栗街道の小栗橋を確
認したのですが、今回は餓鬼阿弥(がきあみ)の姿に変じた
小栗判官が土車(つちぐるま)に乗って、善男善女によって
熊野本宮を目指して引かれていく途中、あやうく川へ落ちそ
うになった春木川にかかる轟(とどろき)橋を見に久米田(
くめだ)駅までやってきました。

  久米田駅の裏(西側)には、池田王子跡があったそうで
すが今はその痕跡もありません。東側の府道が熊野街道、つ
まり小栗街道ですが、しばらく南へ下っていくと額(がく)
町という町にはいります。そこには「小栗街道」という道標
が立っており、建物の風情もなんとはなしに昔風の佇まいに
なっておりました。
         











< 小栗街道の道標がある町屋 >         




2 付近の昔を偲ばせる町並み






 < 昔を偲ばせる付近の町並み >



  さらにもう少し南に行くと「額町」という名前にふさわ
しい鳥居が見えてきました。「正一位積川(つがわ)大明神
」を祀る積川神社の鳥居です。今は立て替えられて石の鳥居
になってしまっていますがその昔、熊野巡礼の途中、後白河
法皇も後鳥羽上皇もここから東へ約5キロmもいったところ
にある積川(つがわ)神社を遥拝されたそうです。
             










 < 積川神社の鳥居  >



  鳥居にかかる扁額(模写)は寛治4年(1090)に、
後白河法皇が熊野御幸でこられた時、鳥居にかかる扁額の文
字があまりに下手だったので、法皇御自ら筆をとって書き直
されたのを掲げたものだそうです。もちろんそれは神社の宝
物となって別に保存され、その模写を掲げてあります。
  
こういった訳でここの地名を扁額の『額(がく)町』と呼ぶよ
うになったそうです。

<写真4 後白河法皇や後鳥羽上皇が遥拝した事跡を記す >











    < 積川神社と鳥居の由緒書き >



  もうすこし南に行きますと、春木川にかかっている轟橋
(とどろきばし)に着きます。この橋は一度殺された小栗判
官が、地獄で閻魔大王と自分の十人の家来たちの情けによっ
て娑婆によみがえらされたものの、目も見えず、耳も聞こえ
ず、声も出ず、自分で歩くことも出来ない、ガリガリの体で
腹だけぷっくりとふくれた餓鬼阿弥(がきあみ)の姿で墓か
ら助けだされ、時宗の藤沢の遊行(ゆぎょう)上人の知恵で
熊野本宮の湯の峰まで善男善女にひっぱってもらえるように
素朴な土車をつくって乗せてもらい、「この者を、ひと引き
引いたは千僧(せんぞう)供養(くよう)、二引き引いたは万
(まん)僧(そう)供養(くよう)」と書かれた札を胸にかけられ
じつに相模の国というから今の神奈川県の藤沢から幾百人の人
々によってかわるがわる引いてもらい、それぞれの先祖の供
養と身の後生(ごしょう)菩提(ぼだい)を祈って「えいさらえ
い、えいさらえい」とばかりに引いてもらって箱根や大井川
を越え、岐阜の青垣からは自分の夫の変わり果てた姿とも知
らない照手姫にも琵琶湖近くの関寺まで5日間引いてもらっ
て、果ては京、大坂とついには和泉・岸和田の春木川までさ
しかかったところ、その轟(とどろき)橋は橋げたが折れ、
熊野に向かう小栗判官の土車が川へ落ちそうになったと言い
伝えられています。
           











< 上轟橋(かみとどろきばし)>



  室町時代の末期から江戸時代にかけて小栗判官にまつわ
る説話は、熊野権現の霊力を讃える説教節として主に時宗と
いう一遍(いっぺん)上人開祖の宗派によって全国にひろが
っていったそうです。









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山本第三病院


2013. 04. 19  
 熊野街道(小栗街道)二人の主人公
・ ・・照手姫と小栗判官・・

 シェークスピアなら主人公が死ぬストーリーは悲劇で、主
人公たちが結婚で終わるハッピーエンドのストーリーは喜劇
仕立てにされてしまいますが、日本の説話は仏教の影響を受
け、勧善懲悪((かんぜん ちょうあく)因果応報=悪を懲ら
しめ善行を勧める)のストーリーでハッピーエンドが多くこ
の話しは人々の共感を得て、大道芸の説教節や人形浄瑠璃、
さらには歌舞伎の演目にされるなど一世を風靡する程になり
ました。






 その痕跡を探るべく「小栗橋」を目指しましたが、ようや
く見つけ出した「小栗橋」は時代性もなく、鉄骨製のあっけ
ないというか、ほんとに「ちいさな橋」でした。
           




 







   < これが小栗橋? >


          

8やはり説明書に小栗街道(熊野古道)






<写真 やはり説明書に熊野街道と >






 よくみるとかなりモダンな形ではあるけれど、夢と希望
をイメージし、女性的なモチーフや模様があり、「照手姫と
小栗判官」のストーリーに沿っているなと思い直せました。
         





9かなりモダンな橋





 <写真 かなりモダンな橋 >
         










10女性的な優しい図柄




 <写真 女性的な図柄  >

 帰り道、元の桜並木を歩きながら、熊野信仰に基づいた
「照手姫と小栗判官」のロマンとこの小さな桜並木と良く
似合うなァと感じ、あの橋もあれで好いんだと思いました。
      




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中尾運輸

2013. 04. 18  
 熊野街道(小栗街道)二人の主人公
・ ・・照手姫と小栗判官・・・

 堺から南へ下ると地元では熊野街道と言うよりは小栗
(おぐり)街道と呼ぶことが多いと言います。

 熊野街道は信仰の道で、平安中期から鎌倉時代にかけ
て上は天皇や上皇から貴族、武士そして庶民に至るまで、
大変な苦労を重ねて熊野三山の「熊野権現」の威力を求
めて巡礼をしていったそうです。
 JR阪和線の和泉府中(いずみふちゅう)駅から東へ
すこし歩くと和泉(いずみ)の国名の元になった霊泉が
湧き出た泉井上(いずみいのうえ)神社があります。
         













 < 泉井上神社 >


 この神社には旧井ノ口王子神社の熊野社も合祀されていま
す。国指定の重要文化財になっています。
         



2泉井上神社②








 < 泉井上神社② >
 その井ノ口王子は500mほど熊野街道(小栗街道)を南
へ下って、槙尾川にかかる柳田橋の北西側にありました。
          


 







< 槙尾川にかかる柳田橋 >
          










 < 井ノ口王子跡 >
 

 橋を南へわたって「右 小栗街道信達(しんだち)郷 和
歌山」とある道標を右南側の路地を入っていくとやがて桜並
木のある小路になっていきます。
          



5





  < やはり小栗街道にふさわしい小路 >







 




   < 小栗橋につづく小路 >
          













 < 小さな公園になっている >





 史実では小栗判官は室町時代に足利持氏と戦って敗れた常
陸の小栗満重が家臣と共に毒殺されるが、その子助重は逃れ
て10数年後に幕府方の武将になって活躍し、領地を回復し
たそうです。

 熊野信仰がこの頃の一遍上人が開いた時宗という踊り念仏
によって「浄不浄を問わず、信不信を問わず、男女貴賎を問
わない」信仰によって喜捨(きしゃ=浄財を施す)を集めて
それを病む者や餓えた者を救ったりして全国に広がっていっ
たそうです。

 「小栗判官と照手姫」の物語は、親の許しを得ないままに
結婚をした小栗と照手がともに悲惨な運命にもてあそばれた
あと、熊野権現の霊力によって、死んだはずの小栗が本宮近
くの川湯温泉にある「つぼ湯」につかると、「餓鬼阿弥(が
きあみ)」の瀕死状態から7日目には眼が開き、14日目で
耳が聞こえ、21日で口が利けるようになる。そして49日
たつともとの素晴らしい武将に戻れ、夢からさめたように熊
野信仰の修行に入ると、そこに仙人に化身した熊野権現が現
れて開運の金剛杖が与えられた。都に帰って親に勘当の許し
を得、さらにめでたいと帝から常陸の国を与えられ、美濃の
青墓(今の大垣市)の遊女宿で水仕女(みずしめ)として苦
労をしている照手姫と再会してめでたし、めでたしと終わる
純愛の説話です。


 明日に続きます。







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2013. 01. 08  
スサノオと後鳥羽上皇の事跡の比較(結論)

  以上の二人の事跡から共通点と特徴を引っ張り出して
みますと、まず、どういった事件を引き起こしたのか?
政治的な事柄として挙げられるのは、スサノオは高天原で
乱暴狼藉を働いて治めていた天照大神を天の岩戸にこもら
せて天下に大変な混迷をもたらせた。それにたいして後鳥
羽上皇はすでに社会は武家に実権が移ってしまっているの
に承久の乱という戦闘をしかけて無駄な混乱を起こした、
と言われます。

  その結果、スサノオは神々に捕らえられ、様々の罰を
与えられた上、追放されて後、出雲に行きます。また後鳥
羽上皇は承久の乱敗北の後、隠岐の島(出雲)に流されま
す。

  刀剣については、スサノオは八岐大蛇(ヤマタノオロ
チ)を退治して、天の群雲の剣(アメノムラクモノツルギ)
=草薙の剣(クサナギノツルギ)をみつけます。これは天
皇である印の三種の神器の一つになります。

  後鳥羽上皇は先代の安徳天皇が幼い身でありながら平
家の滅亡とともに壇ノ浦の海中に海の藻屑となって亡くな
られた時、天皇の御印である三種の神器も一緒に沈み、結局
剣だけがみつからなかったそうです。即位した後鳥羽天皇
は剣がないのをずっとひけめに思っていて、ついには自ら
も鍛造し菊一文字を刻印したそうです。

  和歌でも共通点があります。スサノオは櫛稲田姫と結
婚したとき、喜びを表現して、わが国初の和歌を詠みまし
た。後鳥羽上皇は百人一首や新古今和歌集をまとめさせ、
また宮中に「和歌所」を再開させました。

熊野については、スサノオは熊野の祭神となり、後鳥
羽上皇は熊野巡礼を度重ねました。
         








  < 後鳥羽上皇を祀る水無瀬神宮 >     















  <  水無瀬神宮 拝殿 >      




 


  今日への影響はスサノオは全国5800社を超える神
社で「再生」、「良縁」、航海・商業・治水・林業などのテー
マで信仰を集めています。また後鳥羽上皇も菊の紋章や歌
会始めなどで皇室の伝統となり、浄土真宗では無常観を表
現する「白骨の御文章」で健在です。
         
  特色的にはスサノオは「再生」とか「めでたい」とい
うイメージでわれわれにパワーを与え、後鳥羽上皇は人生
のはかなさなど「無常観」でわれわれに迫ります。
    

  こういった意味で二人とも遠い過去の過ぎ去った人間
ではなく、慢心と怒りで的外れな争乱を起こしたときに思
いに陥ったときに人生の落とし穴にはまってしまうよ、と
いうことを教えてくれます。私もこの点で大きな失敗を繰
り返してきただけに悔やんでも悔やみきれない次第です。

  二人にこれだけ深い共通点があるのに指摘する人が
誰もいないことが不思議です。神話についてももっといろ
んな迫り方があってもいいんじゃないでしょうか?





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Author:panakorann214
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