2015. 07. 22  
=悲劇のヒロイン、建礼門院(けんれいもんいん)徳子=

 
 京都の北東端の大原に三千院とならんで有名な寂光院(じゃ
っこういん)があります。

 天台宗の尼寺で、もとは聖徳太子が御父用命天皇の菩提(
ぼだい)を弔(とむら)うために建てられたものといわれていま
す。
 


  建礼門院徳子は平清盛の娘で高倉天皇(第83代天皇)の
皇后であって、安徳天皇(第84代天皇)の国母だそうです。

 そして第85代天皇が後鳥羽天皇ですので、激しい時代の変
遷を目の当たりにしています。

 源平合戦の最後の決戦の場所、壇ノ浦の海戦でも平家は義
経らの勇猛な攻撃に敗れ、身分の高い女子供たちは「もはや
これまで・・」と入水しました。

 平清盛の妻の、2位の局(つぼね)は孫の「尼御前(あまごぜ)
どこへいくの?」と不安がる、まだ4歳の安徳天皇の手を引いて
「さあ、こんな地獄のようなところを離れて、もっと楽しい安楽な
ところへ行きましょう」と西の方を拝ませて、一緒に海に飛び込
みました。

 天皇の母親である建礼門院も続いて飛び込みましたが、運命
の皮肉、沈めずに源氏方の武将に引き上げられてしまったので
す。



 建礼門院は文治元年(1185年)この寺に入り、真如覚比丘
尼(しんにょがくびくに)と名乗って、源平の戦に破れ滅亡した
平家一門とわが子、安徳天皇の冥福を祈って終生この地で
過ごしたそうです。

 後鳥羽天皇は三種の神器がないまま後白河法皇によって天
皇にされたのですが、それがずっと心の傷、トラウマになってい
て、後に自分で名刀を作り、そこに丈夫な花の菊の模様を打ち
込んで、それがのちのち天皇を表す模様になったわけです。

 日本文化論のルース・ベネディクトの著作「菊と刀」の題名は
ここからとっています。










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     <写真①>

 ご本尊は人間の苦しみや悩みを癒(いや)し、心の平安を与えて下さる六万体地蔵尊
菩薩だそうです







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    <写真②>

 平成12年に、心無い者の放火によってご本尊と第2代、第3
代の住持(じゅうじ=院主)の像が焼け、いまは新しく修復され
た像が安置されています。






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   <写真③>

  初代は聖徳太子の御乳人だった玉照姫(たまてるひめ)
第二代は阿波内侍(あわのないじ)、第三代が建礼門院徳
子(けんれいもんいんとくこ)だといいます。








4_20150716212733339.jpg










5_20150716212735a2a.jpg










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   文書作成 松井正博 / 写真提供 竹中 宏



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Author:panakorann214
 月日の経つのは早いですな
来年は、早十一年目光陰矢の如しとよく言いますが。
 調べて見れば

 「月日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという事を言っているのですが、早 後期(好機)高齢者になりました、意味を知るのがが遅かった。


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