2016. 12. 16  
  
籠城(ろう城)を基本方針とした豊臣方の中で、「
真田丸」という出丸をつくって最も活躍した武将が真田
幸村(信繁)でした。

  戦国時代を終らせ、江戸時代に至る最後の大合戦、
大坂の陣(1614~1615)のうち、前半の冬の陣
の結果「真田丸」は取り払われました。

  冬の陣では徳川家康は天王寺の茶臼山(ちゃうすや
ま)を本陣としましたが、翌年の夏の陣では真田信繁(
幸村)は少ない兵ながらここを本陣として、一心寺周辺
にいた徳川方の松平勢などの大軍に果敢に攻め込み、家
康に肉迫して死をも覚悟させるほどに奮戦しました。





10 夏の陣、真田方の本陣








   < 「夏の陣」での真田方の本陣 >





11 家康を救った霧ふりの松(=一心寺)









  < 家康を救った「霧ふりの松」(一心寺)>






12 霧ふりの松(向こうの太くて半分になった松)







< 「霧ふりの松」=向こうの太くて幹だけの松 >

  このため家康はのちに「坂松山(ばんしょうざん)」
という寺号をおくり、寺領を安堵(あんど)しています。

  幸村も数箇所の傷をうけ、一心寺のすぐ北のほうに
ある安居(やすい)神社の陰で傷の手当をしながら休息
していましたが、徳川方の兵に踏み込まれ、これまでと
観念して、すすんで相手に討たれてしまいました。





13 幸村戦没の地、安居神社







  < 幸村戦没の地、安居神社 >




14 真田幸村公の像







   < 真田幸村公の像 >

  実は前日、まだ幼いながらしっかりした長女に白装
束を着せ、薙刀(なぎなた)と懇願書をもたせて幼い弟
をつれて徳川方で信頼のおける武将にかくまってもらえ
るよう頼んで行かせていたのでした。

  相手も武士の情け、何代も隠し通してその結果、実に
東北に現代までその子孫が生きて続いているのです。当主
の真田さんは60歳代の人です。





15 幸村と息子大助の菩提寺・心眼寺







< 幸村と息子大助の菩提寺・心眼寺 >





16 心眼(しんがん)寺







    < 心眼寺(しんがんじ) >




17 お寺の扉も六文銭








  < お寺の門扉にある六文銭 > 

  心眼寺は明星高校の前の心眼寺坂をはさんで東隣り
にあります。




18 没後400年を記念して建てられた墓碑








< 没後400年を記念して建てられた墓碑 >

また幸村を討ち果たした徳川方の武将は幸村(信繁)
を供養して冥福を祈るため地蔵菩薩を自ら彫っていたと
いいます。






19 信繁を供養するため彫られた地蔵菩薩






< 幸村を供養するため彫られた地蔵菩薩 > 
   





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Author:panakorann214
 月日の経つのは早いですな
来年は、早十一年目光陰矢の如しとよく言いますが。
 調べて見れば

 「月日の経つのはあっという間で二度と戻ってこないから、無為に送るべきではないという事を言っているのですが、早 後期(好機)高齢者になりました、意味を知るのがが遅かった。


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